ひょうたん温泉

「ほら、憲法で、誰でも健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある、とかいうでしょ」

 

タトゥーの話を聞いた時だった。田中社長が言っているのは、最近流行りのタトゥーの話じゃなくて刺青のこと。

 

「刺青が入ったコワモテのお父さんが子どもと一緒に温泉に来ててねえ、楽しそうにしてるんですよ~。服着てたら公衆トイレも使うし、バスや電車にも乗るのに、服脱いだら温泉に入れないって、どういうことやー!ってね」

 

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戦時中「敵の攻撃に合うから」という理由で取り壊されたひょうたんのモニュメントは、田中社長のひいおじいちゃんが自分の誕生日記念に建てたもの。12歳から丁稚奉公で働き、鋳型の技術を身につけ事業を興したひいおじいちゃんは、日本一のプロペラ製造業のオーナーとして、大阪で成功を収めたという。今ではパンフレットでしか見ることができないひょうたんだが、当時はかなりのインパクトだったと思う。

 

ひいおじいちゃんが別府でひょうたん温泉を開業したきっかけは、体の弱いひいおばあちゃんが鉄輪の蒸し湯で湯治し、体調がよくなったことだった。湯治に来るたび鉄輪を散歩していると、ある田んぼだけ稲が早く育つのを見つけた。掘ってみると温泉が出たので、ひいおばあちゃんのために温泉を建てたのだ。誰にでも無料で入らせていたら、客を取られた近隣の温泉経営者から「1円でいいからお金を取ってくれ」と言われ、温泉に来る客からお金を取るようにしたという。

 

当時のひいおじいちゃんからの手紙にはこう書いてたそうだ。「それまでありがたがって温泉に入っていた人たちが、お金を取り始めると、汚いだの文句を言い出したのが悲しい」

 

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ひょうたん温泉は、ひいおじいちゃんが尊敬する豊臣秀吉が出陣する時の馬印が「千成ひょうたん」だったことからその名をつけたという。

 

社会貢献のため、広く整備した駐車場を献血車に使わせたり、女性のために女湯や化粧コーナーを広く綺麗に改築したり、はたまたハラル食に取り組んだり、田中社長はいつも忙しそうだ。

 

「先代には子どもがなくて、ひょうたん温泉の売却話が出たもんで、自分がやりたい!と言ったんですよ。この事業は、先代から受け継いで自分がありがたく使わせてもらってる。従業員を雇って、お客様に喜んでもらって、税金を納めて。コロナの時に助成金やらもらえるのは、日頃儲かったら税金納めてるからですよねー。そして、この事業は、自分は次の世代から借りていると思っているので、次の世代に渡すときは、ちゃんと利子をつけて渡したい。次の世代がやりやすいようにして渡したいんですわ。ほら、クリスマスプレゼントも何が欲しいー?って聞くでしょう」

 

これからの目標は何ですか?と、最後に質問してみる。

「変わらないけど、変わって行くひょうたん温泉をお楽しみください」

 

小気味いい関西弁が耳に残った。

キョーコの部屋
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ビーベップ
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